東欧の衛星国を取り留める装置
ソ連が衛星国に対して求心力を強めるために
経済的な分野では経済相互援助会議(コメコン)
安全保障の分野ではワルシャワ条約機構
があった。
ただし西側の「マーシャル・プラン」と比較しても「コメコン」が機能したとはとても言えず、またワルシャワ条約機構は安全保障の枠組みというよりも、衛星国から抜け出そうとする国に対しての暴力装置としての面が強かった。
この他にも、ソ連は東欧の中で数少ない産油国であったため、エネルギー分野でもこれらの国の運命を握っていた。ただし同じく産油国であったルーマニアはこの限りではなく早々と衛星国の枠組みから抜けてしまった。
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1985年にミハイル・ゴルバチョフが登場すると、これら「東欧」諸国に対するソ連の指導性を否定した(いわゆるブレジネフ・ドクトリン=制限主権論の放棄)。 これにより各国は独自路線に走ることを許されポーランドやハンガリーなど国内の改革を試みる動きも出てきた(ポーランド民主化運動、ハンガリー民主化運動を参照)。最終的にはベルリンの壁が崩壊し東欧およびモンゴル等の諸国の共産主義政権が総倒れになることによって「衛星国」の枠組みは解消された。